私は文章が書けない

OL院生の文章リハビリ基地

私は文章が書けない

小学生の頃、毎日欠かさずに日記を書いて提出するという宿題があった。

一冊の日記帳が毎日、担任の先生と生徒の(そしてひょっとすると親の)手から手へと往復するのである。

担任は国語教育に非常に熱心な先生だった。子どもの日本語力と想像力を鍛えることがそのまま彼女の趣味であり日々の生きがいというような、今はわからないけれど一定以上前の年代の公立小学校の先生としてはある種の典型だった。

私は身体を動かすのがなにより嫌いなかわりに本を読むのがなにより好きな子どもだったので、学級文庫はひと通り読破したし、先生の指導方針で教えられた百人一首も積極的に暗記した。その先生にとっての「優等生」のひとりになれた、はずだった。

ところが、日記を書く宿題だけがどうしてもできなかった。

文章を書くのは苦じゃない。日常のなかでふと何かを思う感受性もどちらかといえばある方だったと思う。

それでも毎日文章を書いて出すということはできなかった。

原因のひとつはおそらく、「がんばる」ことが極端に苦手な怠け癖。もうひとつは、「毎日こつこつと同じことを繰り返しやる」ということができない飽き性。自分のしている行為に「こつこつと」という副詞が付くと気付いた途端にパタッとそれができなくなる、ということはその後の人生でも頻発した。

最後の砦として日記を書く行為を阻んだのは、日常のなかでふと感じた何かを文章化するのに、ものすごく時間がかかる――いったん忘れてから思い出したり、心の中で醸成するプロセスが必要になる――という私の性質だと今では思う。

それが証拠に、私は宿題に関しては呼び出しを食らうほどの「劣等生」にすっかりなり果てたものの、書けた日記のなかからどれかひとつを選んで作文にしなさい、という夏休みの課題では、私の作文が校内で選ばれて世田谷区の文集に掲載されるという結果を残すことができた。余談だが、世田谷区は公立小学校の総学生数がたぶん多いし教育水準もおそらく高いので、かつてあのいかつい文集に文章が載せられた人々は、(うだつの上がらない私とはちがって)みんな今頃立派な人や、文筆家になっていたりするのではないか、と想像したりする。

私が作文に選んだ日記の内容は、家の庭で見つけたカマキリを捕まえて観察した、というものだった。なにしろ選択肢(書けた日記)が極端に少なかったので、選ぶのは楽だった。私にとって、出来事をその日のうちに文章に書き起こすことはものすごく苦だったけれど、あとから思い出して膨らませることはいくらでもできた。ちなみに、その次の年も区の文集に作文を載せてもらえた。

いま、大学院生として論文を書くことにほとほと苦戦していて、あの日記のことが度々脳裏を過るようになった。去年書いた論文は、アイディアを思い付いてから書き上げるまでに二年半もかかっている。

私は時間がかかるのだ。あの文集に作文や読書感想文が載った他の子たちはどうだったんだろうか。もっとサクサク書ける子ばかりだったのか、私のように時間がかかるタイプの子もいたのか。みんな今も、何らかの形で書いているのだろうか。もしかしたら多くの人はワードよりもエクセルばっかり触っているかもしれないけれど。

 

そんなことを思い出しているうちに、それじゃあすでに醸成されている事柄ならば、私もコンスタントに書き続けることができるのではないか?と、今日思い立った。

去年論文を書きながら、文章を書く筋力の衰えみたいなものをひしひしと感じ、かなりの危機感を抱いたのだ。諸々の事情で研究活動をしばらく休んでいて、久方ぶりの執筆だったのもあるだろう。なんでもいいから書けることは書き続けてみようと思う。