私は文章が書けない

OL院生の文章リハビリ基地

まだ見ぬ函館の夜景

遠く小さく、それでもなお視界から消滅してはいない星のような記憶の話。

 

学生時代の一時期、私はとあるオフィスビルの中でワゴンでコーヒーを売り歩くアルバイトをしていた。就業時間を店舗の狭い空間内でやり過ごす苦痛がなく、また売り歩く順路やペースも特に決められていない点が、なんとなく開放的でやりやすかった。
大抵いつも同じ人が同じ扉から出てきてコーヒーを買ってくれるので、どの地点で誰がどのサイズのコーヒーを買うか、大体覚えていた。コーヒーを買い求めるデスクワーカーの人々のほかに交流があったのは、昼の時間帯にお弁当を売り歩く他店の店員さんたちと、高齢の清掃員の方々だ。清掃員の方々も、時々コーヒーを買ってくれた。なかでもKさんは、私たちの常連客だった。
私たちは全ての廊下をまわり終えると、エレベーター前のスペースでワゴンの上を整えたりお金を数えたりしながら小休止する。そんな時にKさんに出くわすと、たちまち雑談に花が咲いた。Kさんはいつも人懐っこい笑顔で話しかけてくる、まるで少年のようなおじいさんだった。小柄で髪も黒かった。とても気さくで、私たちのカフェ店舗前に出たゴキブリをヒョイとやっつけてくれたこともあった。

Kさんは函館の出身だと言う。目をキラキラと輝かせながら、勤務中の私に函館の自然や夜景の美しさを語って聞かせた。本当に少年のようで、まるで昨日上京してきたばかりのような口振りで故郷の話をし続けた。「うちのおっ母は〜」なんて言い方をするのだ。私はスマートフォンで函館の夜景を調べた。たしかに綺麗だった。この夜景が常にKさんの網膜にあるのだな、と思った。「あの頃の」、「昔の」函館ではない。ただ「函館は、美しい」。そういう語り方をKさんはした。そうして私は、函館の夜景がもつ不思議な魔力をKさんから教わった。いつまでも純粋な心を失わせない魔力。絶対的価値としての「美しさ」というものを信じさせてくれる魔力。
Sさんという女性の清掃員も、たまにコーヒーか紅茶を買ってくれた。Sさんはいつも綺麗にお化粧をしていて、澄ました表情をしているけれど話すとおっとりとしてチャーミングな方だった。ある時期からKさんは私たち売り子を見かけると、「Sちゃんの分も!」と言って2つ買うようになった。偶然その場にSさんが現れることもあって、二人が揃うと夫婦漫才のような掛け合いが始まった。と言うより、面白い化学反応を起こす思春期の男女さながらだった。私たち売り子は、「あの二人仲良すぎじゃない?」「今日は私から買っていって、こんなやり取りしてたよ」などと話しては笑った。
そのうち私たちの仕事はなくなってしまった。Kさんはその少し前から見かけなくなっていて、閉店を告げる機会もないまま会えなくなってしまった。体調を崩したのではないかと心配だった。もしかすると、清掃員の持ち場の異動などがあったのかもしれない。オフィスビルなので、私もバイトを辞めると同時に通行証を返却し、もう二度とそこに足を踏み入れることはできなくなってしまった。
私はまだ函館を訪れたことがない。Kさんの生まれ故郷を見れば、彼の少年のごとき若々しさの理由がわかるのかもしれない。